最優秀賞受賞作品③
『大逆転劇』
                           舞 冬

 全ての始まりは中学時代、私はバスケが大好きな子だった。小学生の頃はバスケクラブに所属し、仲間と切磋琢磨した。勿論、中学校ではバスケ部に入部した。だが、やがて私は地獄を見ることになる。

 私を遠巻きにする同級生、後輩に当たりの強い先輩、理不尽に怒鳴りつける顧問。どれも私が望んだ光景ではなかった。楽しいバスケの練習時間が苦痛に感じ始めたのは、入部して一ヶ月経った頃だった。

 梅雨の部活日、水分補給のために校舎内にいた私は練習に戻ろうとしていた。だが、昇降口に近づいたところで、同じ部活のS子とK美の声が聞こえて自然と足を止める。

「てか、舞冬って良い子ぶって超ウザくね?」
「それな! 走るのサボっただけなのに『頑張って走ろ!』って。ウザいから雑用押し付けたり、パス回さなかったりしてるのに何も言わないの! 鈍感過ぎていじめに気付かないのマジウケるよねー」

 S子のいじめ発言、何となく察していた。だがバスケはチームスポーツ、足並みを揃えるには気付かないふりをするのが一番だった。だが、私の精神は徐々に蝕まれていく。バスケを捨てたい気持ちに駆られる。

 バスケといじめを天秤に乗せた末……
「やってらんない……」
 九月、私は退部届を提出した。

 大好きなバスケを潰された私は心を病んだ。何をしたらいいのかが分からなくなり、生きる必要がない気がした。ナイフで自分の手首を切ってみたり、駅のホームで「ここに飛び込めば楽になれるかな?」と考えてみたりもした。とにかく、死ぬことしか頭になかった。

 私が自殺について考えている中、クラスの男子に一つの問いをぶつけられた。

「なぁ男好きって本当?」
「何の話?」
「お前がバスケを辞めたのが『モテたくて男バス部員の割合が多いバスケ部に入部したけど、モテなかったから』って聞いて」
「……は?」

 初耳だった。私の知らないところで、嘘の退部理由が学年中に広まっていた。幸い、私に尋ねてきたのは小学校で同じバスケクラブにいた男子だったため、私が弁解すると「やっぱな。違うと思ってたから良かった」とすぐに理解してくれた。

 噂の出所はS子だった。何処まで私を追い詰めれば気が済むのだろうか。

 ここまで来ると死ぬのが馬鹿馬鹿しい。取り敢えずは高校に進んでみよう。S子が消えれば、普通の生活になるはず。私は呆れに呆れ、高校生活に賭けることにした。

 そして私は高校に進学、これでS子ともおさらば。……と思ったが、最悪なことにS子も私と同じ高校だった。それだけでもショックだった。だが、さらに酷かったのは大学受験にも関わってくる二年生、同じクラスになったこと。

始業式、人伝にS子と同じクラスと知って号泣し、泣いたまま新しいクラスに移動したことは今でも鮮明に覚えている。

 四月の記憶は何もない。ぽっかりと空いた穴のようだった。中学までとは違い、高校には出席日数というものがあり、休み過ぎると留年となる。私は学校に行く他なかった。

 二学期が始まって少しした頃の朝、私は強い腹痛と熱に襲われていた。母が休む旨を学校に伝えるなり嘘のように元気になった。これを数週間程繰り返した。

 心配した母が私を病院に連れて行った。私は母に心配させたくなかったから、いじめのことを伝えていなかった。だから、私はS子とは不仲だと濁して教えていた。

 病院に着いても、私は母にいじめのことを知られたくなく、私は一人で診察を受けた。

 その結果、私は心的外傷後ストレス障害と言い渡された。これはトラウマのフラッシュバックで日常生活に支障が出るというもの。いじめが終わっても、いじめによってできた心の傷は癒えてなかった。

 朝は起き上がれず、遅刻して行った学校では発熱を繰り返し、休日は死んだように布団に転がる。
 三学期になる頃には誰しもが認める不登校生になっていた。

 大学受験を考える高校三年生。

 正直、いじめの後遺症で受験なんて考えられなかった。学校に行きたくない、が頭を埋め尽くし、受験生という実感がなかった。登校拒否を続けたが、二学期にもなると本格的に留年が見え、私は熱が出ようと腹痛に苦しもうと、学校に行った。

 十二月、私の下剋上が始まる。

 出席することに命を賭けていた私の学力は、当然ながら低い。だが、日東駒専以上を希望していた。勿論、最終模試は全てE判定を貰った。

 担任からは「無謀だから偏差値下げた方がいい」と言われた。私は思う。

 S子のせいで不登校になった。
 勉強する心の余裕なんてなかった。
 ここでS子より良い大学に進学したら?
 元いじめられっ子、一発逆転じゃん?

 人生このままで終われるかよ。

 誰もが無理と思うようなどん底からの大逆転劇。人と比べるのは良くないと言うが、私にはこれしかなかった。

 もし本当に人生の大逆転が起こったなら、きっと私はS子のことなんてどうでもよくなる。今後思い出したとしても、今までの不幸は、あのいじめは、私の大逆転劇を引き立てるためのワンシーンだと思うことができる。そう確信した。

 受験日まで約二ヶ月。私は普通の人とはちょっと違う、私が一番伸びると信じている方法で勉強をし続けた。周りから「無理だから変えろ」と言われても、私はやり方を変えなかった。その頃の私は、否定されればされる程、燃えるようになっていた。

とにかく、私は私を信じたかったのだ。

 二月、決戦の日。

「最後に笑うのは私だ」

 この言葉を胸に、私は大学受験に臨んだ。

 第一志望の合格発表日は、受験した中でも最後だった。先に見る他の合格発表、不合格が多かったが、合格もあって一安心。

 そして、本命の合格発表。結果は合格。

人生の大逆転劇が完成したその瞬間、私は心に深い傷を負わせたあのいじめを、完全に克服した。逆に劇を引き立ててくれてありがとうとさえ思ってしまう。
いじめを克服したことで、自己肯定感はかなり上がった。そして、同時に鋼のメンタルを手に入れた。

 私の場合、「いじめが霞む程の凄い何かを成し遂げる」ことでいじめを克服した。これも一つの良い手段だと思っている。勉強でなくても、部活でも、趣味でも、自信があることなら何でもいい。

 また、現在進行形でいじめられている小中学生に言いたい。

 辛いと思った時点で学校は休んじまえ。
 無理して行く必要なんてない。

 すぐに仲直りできるとか、状況が良くなるとか、そんなこと絶対にないから。私の実体験を見たらよく分かるはず。いじめ本格期の中学を行って、後遺症の高校を休んだ私が言うから間違いない。休んでいい。休め。

 あと高校生も休んでいい。大体の高校は三分の一までなら休んで大丈夫だから。

 未来は何とでもなる。だが、今は一歩間違えたら死んでしまう。無理して行かなくていい。学校を休んで、状況を打破する方法を考えよう。友達は放課後でも会える。だから、今は自分の心を一番大切にしてほしい。

 そして、いじめの加害者の皆さん。
 君が人をいじめる理由は何?
 八つ当たり? 暇潰し? 嫉妬?
 どんな理由にしても、君は最低な人。

 自分の感情を人でしか発散できないということだ。周囲の人、引いていると思う。君の行動はかなり恥ずかしいよ。

 君はいつか忘れるだろうけど、やられた側は覚えている、周囲の人も覚えている。
 未来で痛い目に遭いたくないのなら、今すぐいじめなんてやめて、謝るべきだ。

 保護者は自身の子をよく見て、もし加害者であれば、どうか正しい道を示してほしい。もし被害者であれば、どうか寄り添って学校を休ませてあげてほしい。

 私の母は非常に理解してくれる人で不登校の間、私はかなり救われた。一方、父には「引き摺ってでも学校に連れて行こうか」と言われたことがある。おかげさまでストレスから拒食症を発症し、本当に大変だった。

 子供にとって、家は安全地帯であってほしいものである。どうか些細な変化にも気付いてほしい。

 人生とは一つの物語。
 君の行動で物語の結末は変わる。
 その結末が幸せであることを心より願う。



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